MyCSS

2010/02/21

デブサミ史上最強最高のセッションを目撃した! はてなブックマークに追加

目黒雅叙園で開催されるDeveloper's Summit(デブサミ)に今年も参加してきました。
今年で何回目の参加になるだろう?フル参加は難しいとしても、あのポジティブな雰囲気が楽しくて、何かと都合を付けて毎年行っています。

今年はなんと言っても個人的にデブサミ史上最強最高のセッション、「建築から開発プロセスを学ぶ~パタンランゲージ」から得られるものがすごく大きかった。得られたというより、なにかヒントとなるような言葉をバシバシ浴びせられて、でも消化不良なんだけど、思ったり考えた事を少しずつ自分のものにしていって、外にも出して行こうみたいな、そんな感じです・・って、すでに文章がおかしいですが、とにかく何かを猛烈に浴びせられました(笑)

当日メモが取れないくらい心に沁み入ったので、
を参考に思い出しつつ、このエントリーを書きました。感謝です!!

「IT」とひとまとめにしちゃうと、いろんな要素が関わってきて複雑になるので、「ソフトウェア」に絞って思った事を書きます。デブサミもソフトウェア開発者の集まりだし。

建築とソフトウェア
建築って、人類が家を造るようになってからの壮大な歴史があるのに対し、ソフトウェア開発はたかだか何十年だから、そもそも比べるのもおこがましいような気もします。また一方で、実際の手で触れられるものを扱う建築と、触れられない抽象的なソフトウェアとでは問題の本質が違うと思います。
でも、最終的に人の暮らしの為に必要不可欠なものを作っていくという点では建築もITも同じだし、建築からアーキテクチャという言葉を貰ってきた以上、本質的に通じるものはなんなんだろう?と、以前からぼんやり考えていました。

セッション中の中埜先生の言葉で
全部の要素を満たす住宅を作ったが、機能的でいいんだけど心がない
という事は、身の回りの小さなレベルでよく経験する事だと思います。でも、そういう部分ってプロダクトデザインやソフトウェアユーザビリティーの分野で盛んに問題として取り上げられている部分だと思いますし、それなりに成果が出ているのではないか?とも思います。

でも、建築ってプロダクトそのものが人間の感性を刺激する役割があります。その場にいるだけでなんか気持ち良いと感じたり、雰囲気が開放的だから人のコミュニケーションが円滑になったり、その逆もあったりなど、建築の機能的な役割を果たす事は当然として、その先の人間に対する影響を考慮して「設計」するという部分にまで到達しています。もちろん専門的な事は全く知らないし、いまだに「パターン、Wiki、XP 」ですら未読な自分ですから、ド素人の意見です。でも、素直にそう感じてしまいます。

そういった、言葉にしづらいし、100人いれば100通りの意見が出てくる感性的な部分に対してどうやって折り合いを付けていくのか?それって、今まさにソフトウェア開発が直面している問題だし、その部分が上手く行っていると歴史的にコンセンサスがとれているソフトウェアってあるのかな?と率直に考えました。

ソーシャルアーキテクト?
前日の「アーキテクチャに憧れろ - 『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』著者パネルディスカッション」というセッションでも出てきましたが、「ソーシャルアーキテクト」的な人材はまだ存在しないという事。中埜先生も様々な意見を取りまとめるコーディネーターが足りないとおっしゃっておりました。そういった流れを作るためにも、道具としてのパターンランゲージがもっと必要なのか?それ以前の問題なのか?アジャイル開発が現実的な解なのか?とか、考えれば考えるほど訳が分からなくなってきますね(苦笑)。

小津安二郎の映画で家族でおだやかに朝食を食べているシーンは、日本以外でも素直に心地よいと感じる事が出来る。そういった人類共通の感覚みたいなものはまさにソフトウェアに必要です。また、子供も年寄りも男も女も、年齢性別分け隔てなく使われていくソフトウェアは、今後の社会的責任の度合いが増していくでしょう。

「0」と「1」しか知らない馬鹿正直な「箱」に「ソースコード」を通して日々命を吹き込むソフトウェア開発者の人たちは、そういう重要な仕事をしているのだと自覚して、同時に胸を張るべきだと思います。

ソフトウェアアーキテクチャは建築アーキテクチャに比べてどうなのかとか、そういう比較論ではなくて、良い所でヒントになりそうな部分は取り入れるとか、手法を応用するなど、もっと相互のやり取りが出来るようになれば良いのかな?なんて思ってみたり。

自分の中でさっぱりまとまらないうちにエントリーを起こしてしまいました。でも、何かを書かずに入られませんでした。
私の父が建築業界で働いていた影響があるかもしれません。
祖父は大工でした。なにか血が騒いだのか!?という気がします。

いずれにしても、このようなセッションがデブサミで行われた事はちょっとした事件なんじゃないかと思います。セッション後の拍手の大きさが何よりもそれを物語っていたのではないでしょうか・・。

2010/02/10

OSXでRAMディスク はてなブックマークに追加

ふとRAMディスクを使いたい時ってありますよね(笑)?OSX以前は標準でその機能がついていましたが、当時はメモリも高かったので、あまり使い勝手が無かったように思います。
OSXになってからはGUIでこそ無理ですが、コマンド打てば実現可能です。(GUIがよければ、そういったツールもあるようです。 )

普段自分が使っている簡単なRubyのスクリプトを晒しておきます。よろしければどうぞ。(ご利用は自己責任でお願いいたします。)


#!/usr/bin/ruby

disk_size = 10 # Megabytes
block_size = disk_size * 1024 * 1024 / 512

device = `/usr/bin/hdid -nomount ram://#{block_size}`
`diskutil eraseDisk HFS+ ramdisk #{device}`

このスクリプトを実行すると、デスクトップに「ramdisk」という名前でマウントされます。マウント解除はゴミ箱に入れるなどして行ってください。

2010/02/01

1915 はてなブックマークに追加

Bloggerにお世話になる前、エキサイトシーサーはてなと、転々としてきました。技術系と日常系とブログを分けて書いたりもして、同時に3つくらい書いていた事もありました。でも、不惑の年も近づいている事だし(笑)ごちゃごちゃさせず、シンプルに、今後はこれ一本で行こうと思います。

今日はなんだか不思議な事にあったので、メモ。

相方と、もうすぐ4歳になる息子と三人でバスに乗っていた。
途中のバス停で、手を挙げて小走りに走ってくるおじいさんがいた。
ちょっと息を弾ませながら、自分と息子が座る席の前に、どっかりと座ってこっちを振り返った。息子の顔を見ながら、こう言った。
爺:「ほぉ、賢そうな顔してるの。」
俺:「はい。よく言われます。」(と心の声(笑))

しばらくすると、突然、自分の事を大きな声で語りだした。まぁ、子連れだったらよくある事。でも、こういうおじいさんの身勝手な話は、大抵の場合面白いので、素直に聞き役に回るのが吉。でも、今日はちょっと様子が違った。

爺:「僕はねぇ、今年95なのよ。息子が二人。35歳。60の時の子どもよ。」
俺:「きゅ、きゅうじゅうごですか!?」(どうみても60位にしか見えませんが。)
爺:「体罰はいかんよ、絶対に。体罰は。あんた、やってる?」
俺:「いえ、やってませんけど・・」(突然何!?(笑))
爺:「うちの息子が小さかった頃ねぇ、悪さをしたからお尻をパンパン叩いたのよ。それがねぇ、この95になってもね、35の息子に未だに言われる。尾を引いてるんだねぇ。だからね、子どもに手を上げる事だけは、絶対にやっちゃいかんよ。」
俺:「はい・・」
爺:「僕はねぇ、若い頃中国にいてねぇ、その後韓国に14年、上海にもいたなぁ。韓国では漁師をやっていた。その後は日本に帰ってきて、ヤンキー相手に商売さ。」
爺:「今からこの辞書を図書館に寄付してくるんだ。オックスフォードの英英辞典と・・」
おじいさんのもつビニールの袋には、広辞苑クラスの分厚い辞書が3冊ほど入っていた。すげぇ。時折出てくる「英語」は、どう聞いても「英語」的発音だ。絶対ペラペラだ。このじいちゃん。この辺から、ちょっと背筋が伸びる、俺(笑)。
爺:「これからはなんと言っても英語ね、英語。世界に出て行くためには、英語がしゃべれないと話にならん。」
俺:「はい。そう思います。」(汗)
爺:「お絵描き、とかいうでしょ?なんだろうね、あれ。」
俺:「!?」
爺:「なんでも"お"をつけりゃいいと思ってる。"絵を描く"で良いんだよ。」
そこから、世界で一番紳士的な国は、「英国」だ、と力説・・。でも、この話は「あー、そうですか。」と受け流す事はできなかった。
要するに、「子ども扱い」ってのは、子どもに大して失礼だと。もちろん力の無さや経験不足など、子どもに対して大人がカバーしてあげるのは当然として、日々の暮らしの接し方で「お子様」扱いするのはおかしいと。もっと、人間として尊厳を持って接してあげないと、あとで子ども自身が苦労する・・。そもそも、「お子様」なんていう日本語、おかしいよね。まぁ、裏を返せば、今の大人が「大人」になりきれていないという意味にも取れるんだけど。
爺:「今の日本はねぇ、ほんとに駄目だよ。」
俺:「・・・」
爺:「でもね、この子の時代になったら、きっと日本は良くなる。」
俺:「!?」
爺:「あんたの時代は駄目だろうけど、この子の時代にはきっと良くなる。」
おじいさんはそう言い残すと、そそくさとバスを降りてしまった。話した時間、5分位かな。


95歳、計算してみたらなんと1915年、大正4年生まれ。第一次世界大戦のまっただ中。関東大震災はまだ。終戦の時はすでに30歳・・。という事は、子どもの頃から青年期まで、ずっと戦争臭漂う世界の中で生きてこられた方。本家本元のロスジェネ世代。そんな人が、2010年に、重たい辞書3冊抱えてバスを追っかけて走ってるなんて・・・。「子どもを抱きかかえて腰が痛い」とか言ってる場合じゃないな、まったく。

今、本当に先行き不安な事ばかり言われるし、実際そうなんだけれども、ちょっと我々には想像も及ばないタフな人生を送ってきた大先輩からすると、

「あんたの時代は駄目だろうけど、この子の時代にはきっと良くなる。」
という風景が見えるのかなぁ。

「あんたがもっとしっかりせにゃ、この子らのためにも。」
と背中をたたかれたような気がした。
なんていうか、もっと説教してもらいたかった。
こういう事をズバズバ言う爺さん、少なくとも自分の周りはいない。

こういう人知れず町中にいる爺さん婆さんの話を映像にして、渋谷の映画館で単館上映でもすればヒットするよ、間違いなく(笑)。若い世代こそ、こういう話に飢えてんじゃないのかなぁ、と思ったりもして。




あ、ブログのタイトル変えました。すんません。